第41話 天下の名勝 錦ヶ浦

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ページ番号1013154  更新日 令和4年11月16日

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あたみ歴史こぼれ話(本編)

「あたみ歴史こぼれ話」第41話 天下の名勝 錦ヶ浦
「あたみ歴史こぼれ話」第41話 天下の名勝 錦ヶ浦 (2022年)9月号掲載


※広報あたみの原本をご覧になりたい場合は、
以下のリンク先からご覧下さい。

あたみ歴史こぼれ話―本編の後に

このコーナーでは、「あたみ歴史こぼれ話」で
掲載しきれなかったことを中心にご紹介します。
本編を読み進んだ後に、ご覧ください。

※このページで掲載されている画像は、閲覧のみ可能といたします。
 画像の保存、複製及び使用は禁止いたします

 

 

観音窟探検

   江戸時代より錦ヶ浦の洞窟は探検されていたようですが、昭和34年5月10日に発行された「熱海市政だより」には錦ヶ浦の觀音窟の記事が掲載されているので紹介しましょう。

 錦ヶ浦屏風岩の真下やゝ東よりの波打ちぎわに、三角形に小さい口を開けているのが観音窟である。引潮の時でないと波が高くて中へは入れない。いずれにしても入口までは船で行かなければならない。この洞の奥ゆきは誠に深く今まで誰一人としてその終点まで行きついた者はなく、昔からの秘境とされている。

 今から二百六十年程前鈴木秋峯と云う武士が手兵三十人をつれ、手に手にたいまつをかざして中に入つて行つたが遂に奥まで達しないで終わつている。この時の記録によれば入口を入つて間もなく清水をたゝえた池があり、洞の中は入口と異つて非常に廣く、行けども行けども道はつきず遂に途中で斷念し引返して了つた。洞に入つたのは早朝であつたが穴を出た時日はすでに夕日が西にかたむいていたといふ。

 最近では昭和二十四年春市役所の観光課員三名と熱海高校の伊藤教諭等が、ものものしいいでたちで、この洞窟の探險にいどんだが、この時は穴を間違つて入り失敗し、笑話に終わつて了つた。そのすぐあと八月にサン写眞新聞社員が、この洞の中をカメラに収めようとして來熱し、再び大擧探險隊が繰出された。

しかし、この時も遂に失敗に終わつて了つた。背を丸めて入口を入つたが、足もとにはまだじめじめと波がただよいまことに氣味が惡い四、五間も進んだ頃懐中電灯で照し出された洞窟の中は無数のコーモリがぶらさがり羽ばたいている。下を見るとカニがよたよたはいまわる中をマムシと思われる蛇が鎌首をもたげている。この異様な光景に張切つていたはずの探險隊もすつかりおぢ気付いて了ひ誰からともなく後ずさりして皆外へ出て了つた。その後は訪れる者もなく神秘のベールをかぶつたこの洞窟は今日も無気味な表情で屏風岩の下に黑い口を開けている。

 観音窟と名付けられているのは、この洞の中に清水の池を渡つたところに三百年程前印収彦一郎と云ふ人が、日蓮宗池上本門寺の管主日曜上人の開眼で觀音像を安置したところから出ている。然しこの佛像はいつの頃か持出され今日は無く、上の日本山に移されたと云う説もあるが眞疑の程は判然としない。

 又この洞窟の先は韮山に抜けているとも云われているが、これももちろん推理小説もどきの範圍は出ていない。

 (出典 熱海市政だより 昭和34年5月10日(日曜日)「名所めぐり」より)

 

錦ヶ浦の観音窟

 熱海市職員でありました太田君男氏も、昭和34年8月4日に観音窟を探検しており、著書の『続熱海物語』に記述がありますので紹介します。

 昭和三十四年八月四日に郷土研究会員十名と共に朝日ニュース、日本テレビなどの報道関係者と、この洞窟を探検しましたが、伝説どおり観音窟の入口は三角形をしており狭く、観音様を祭るとき造られた石段が七メートル位あり、それを過ぎると広さ十平方メートル位、深さ一メートル位の清水を湛えた池がありました。池の中には人間の骨盤のような白骨や犬の骨等が散らばっていました。池を渡ってさらに進むこと四十メートル位で岩盤に突き当たり、行き止まりになっていました。洞窟内には何万というコウモリがキーキーと鳴き、本当に顔や身に当たりました。奥の突き当りには頭大の穴がぽっかりと口を開けており、長い棒を差し入れましたが、奥深いものとみえて何の手応えもありませんでした。途中に観音様を祭ったらしい所もありましたが、コウモリの糞のために見つかりませんでした。その糞たるや二、三センチも積もり、歩くたび泥沼を歩いているようで何とも言えぬ悪臭が洞内にたちこめていました。しかしこの観音窟も昭和六十年頃の国道一三五号線拡幅工事の際崖上の屏風岩が崩され、その岩石が下の洞窟を塞いでしまいましたので、現在は中に入ることができません。

(出典 太田君男 著 『続熱海物語』 錦ヶ浦の観音窟 より)

観音窟探検写真

観音窟探検写真
昭和34年8月4日海上にて
        (資料提供 熱海市立図書館所蔵 撮影 忍田 中)
観音窟探検写真 2
昭和34年8月4日海上にて
        (資料提供 熱海市立図書館所蔵 撮影 忍田 中)
観音窟探検写真 3
昭和34年8月4日 観音窟内上陸
(資料提供 熱海市立図書館所蔵 撮影 忍田 中)

このページに関するお問い合わせ

教育委員会 生涯学習課 網代公民館 歴史資料管理室
〒413-8550 熱海市中央町1-1
電話:0557-48-7100ファクス:0557-48-7100
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