第19話「風致を害するな!埋立絶対反対!~天皇への直訴事件、起こる~」
あたみ歴史こぼれ話(本編)

広報あたみ掲載の一部に誤りがありましたので、お詫びすると共に以下のとおり訂正いたします。
(訂正箇所)
6段落目「そして、この事件は全国に報道されて国民の注目を浴び、・・・」
(誤)静岡県知事、警察部長はじめ熱海町長、市会議員らが進退伺いを出す事態に・・・
(正)静岡県知事、警察部長はじめ熱海町長、町会・区会議員らが進退伺いを出す事態に・・・
※広報あたみの原本をご覧になりたい場合は、
以下のリンク先からご覧ください。
あたみ歴史こぼれ話―本編の後に
このコーナーでは、「あたみ歴史こぼれ話」で
掲載しきれなかったことを中心にご紹介します。
本編を読み進んだ後に、ご覧ください。
画像の保存、複製及び使用は禁止といたしますのでご遠慮ください。
【埋立地のその後】
天皇への直訴事件後、最終的に昭和12年に県当局の下で市側と埋立会社側で
調停がなされ、昭和14年までには 埋立工事はほぼ完了しました。
しかし、市民の反感が強かったことから、市は埋立地の市域編入を
拒否しました。
これは市民感情を反映させた市側の最後の抵抗とも言えましたが、
県側で法令に基づく強制編入の手続きがあることや国有地となった場合に
市としても適切な施策が出来なくなるなどの理由から、市は次第に
妥協的になり、昭和15年には市域に編入することを認めました。
(参考:『熱海市史』)
【熱海の海岸】
かつて熱海の海岸一帯は、美しい砂浜が広がっていました。
明治時代の小説『金色夜叉』において貫一が宮に別れを告げる名場面で
全国的に有名になり、多くの観光客が訪れるようになりました。
今回のこぼれ話で取り上げた、昭和初期の和田川からサンビーチ手前までの
間の埋立をはじめとして、熱海大火があった1950年(昭和25年)以後、
街並みの整備や道路の拡幅、海岸道路の整備や駐車場の造成などで埋立が
進められた結果、昭和42年(1967年)には、熱海海岸から砂浜が消えました。
しかし、昭和50年(1975年)頃から、失われた砂浜の復活を望む市民の声が
次第に高まり、市民一丸となった人工海水浴場建設運動が展開され、
昭和56年(1981年)からは海岸環境整備事業として横磯地区に
人工海浜造成工事が始まりました。
昭和61年(1985年)7月、200メートルの砂浜が復活し、昭和63年7月には
更に200メートル拡張。砂浜総延長400メートル、奥行き60メートルの
人工海浜浴場が誕生し、一般公募により「熱海サンビーチ」と名称が
決まりました。この人工海水浴場には千葉県富里・富津産の砂が
約28万立方メートルも投入され、総事業費30億円余りが費やされました。
その後、熱海サンビーチに続く渚地区の海岸整備も進められ、
平成9年(1997年)3月には二股に分かれた展望テラスの「ムーンテラス」と
「スカイデッキ」が、平成12年(2000年)3月には糸川から初川までの区間に
現在の熱海市観光協会と観光案内所(ワカガエルステーション)がある
「レインボーデッキ」が整備されました。また、平成21年(2009年)4月には
初川から和田川までの区間には、渚小公園と歩道橋(ペデストリアンデッキ)で
つながった「渚デッキ」が整備されました。
(参考:『熱海歴史年表』、『熱海平成歴史年表』)

四角く囲まれた箇所が、今回取り上げた和田川からサンビーチ手前側の埋立地です。
なお、三角形で囲まれた箇所は、現在サンビーチとなっています。
国道135号線上り線と下り線に挟まれた渚地区となっています。
公園の奥には歩道橋(ぺデストリアデッキ)があり、渚デッキへ行くことができます。
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