第33話 三島への道・箱根への道 ~かつて峠の道は往来で賑わった~

このページの情報をXでポストできます
このページの情報をフェイスブックでシェアできます
このページの情報をラインでシェアできます

ページ番号1012230  更新日 令和4年3月8日

印刷 大きな文字で印刷

あたみ歴史こぼれ話(本編)

「あたみ歴史こぼれ話」第33話
「あたみ歴史こぼれ話」第33話 三島への道・箱根への道 ~かつて峠の道は往来で賑わった~ (令和3年(2022年)1月号掲載)


※広報あたみの原本をご覧になりたい場合は、
以下のリンク先からご覧下さい。

あたみ歴史こぼれ話―本編の後に

このコーナーでは、「あたみ歴史こぼれ話」で
掲載しきれなかったことを中心にご紹介します。
本編を読み進んだ後に、ご覧ください。

※このページで掲載されている画像は、閲覧のみ可能といたします。
 画像の保存、複製及び使用は禁止いたします

 

 

十国ドライブウェー 県道開設 記念碑

十国峠ケーブルカー レストハウスの駐車場と県道20号を挟んだ向かいには、伊豆箱根鉄道株式会社会長 堤 康次郎翁が開発し、静岡県に譲渡された我が国初の有料道路の開設記念碑がありますので紹介します。

 

 

 

画像1
十国ドライブウェー 県道開設 記念碑(表面)

 

 

 

 

画像2
十国峠ドライブウェー 県道開設 記念碑(裏面)

 

 

碑文内容(一部句読点追記)

(記念碑表面)

十国ドライブウェー 県道開設

記念碑

静岡県知事 斉藤寿夫

(裏面)

十国道路開設記念碑

 東海の名勝箱根と伊豆の泉都熱海とを結ぶ自動車道路は、土に彫刻する芸術家伊豆箱根鉄道株式会社会長堤康次郎翁の卓見により、昭和五年工事に着手し同七年に営業を開始したわが国最初の有料自動車道路である。

 当時は日本全国の自動車保有数は八万台、静岡県は三千台に達しないころのことなれば、その無謀の計画を嘲笑するものもあったが、翁は自ら陣頭に立って草を薙ぎ茨を刈って工事を遂行した。

 爾来三十有余年、その間経済恐慌、世界大戦等、幾多の難関を突破し、遂に年間百万台の自動車が往復するに至った。特に富士箱根伊豆国立公園の開発によってその利用度はますます増大した。

 静岡県は道路の公共性に鑑み、有料道路の開放は地域社会開発上喫緊のことと考え、敢えてその開放を翁に懇請して快諾を得た。その後、昭和三十九年十二月十五日翁の遺志にもとずき同社より正式に県に譲り渡され県道として開放するに至ったのである。

 これ全て翁が事業は感謝と奉仕によって経営すべきだという信念の具現である。県は翁の魂のこもるこの道路の維持と保全に当り、地域の開発並びに国家の発展に寄与することと信じる。予偶この美挙に関与した故を以てその概要を記して後世に伝ふと云爾。

昭和四十年十一月

水野成夫撰

八十三翁 青山於菟書

このページに関するお問い合わせ

教育委員会 生涯学習課 網代公民館 歴史資料管理室
〒413-8550 熱海市中央町1-1
電話:0557-48-7100ファクス:0557-48-7100
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。