第24話「頼朝の一杯水」千鶴丸供養の地蔵尊

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ページ番号1011128  更新日 令和3年5月25日

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あたみ歴史こぼれ話(本編)

2021.5.12
「あたみ歴史こぼれ話」第24話(令和3年(2021年)4月号掲載)


※広報あたみの原本をご覧になりたい場合は、
以下のリンク先からご覧下さい。

あたみ歴史こぼれ話―本編の後に

このコーナーでは、「あたみ歴史こぼれ話」で
掲載しきれなかったことを中心にご紹介します。
本編を読み進んだ後に、ご覧ください。

※このページで掲載されている画像は、閲覧のみ可能といたします。
 画像の保存、複製及び使用は禁止といたしますのでご遠慮ください。

1.千鶴丸の悲劇

 今回の話には、幼い千鶴丸が八重姫の父・伊東祐親によって殺されてしまう悲劇が描かれていますが、このことは『源平盛衰記(げんぺいせいすいき)』や『曽我物語(そがものがたり)』に詳しく記されています。ここでは、『完訳 源平盛衰記』から、その様子を記した部分を紹介しましょう。

  なお、「千鶴」の読み方について『熱海市史』では「ちず」というフリガナが振られていますが、他の文献では「せんつる」あるいは「せんづる」というフリガナも見られます。

〔以下原文ノママ〕

 伊豆の国の住人、伊藤入道祐親(すけちか)法師は源氏累代の家人(主従関係にある家臣)であったが、平家からも格別の恩を受けていて、伊豆国におけるその権勢は他に類を見なかった。娘が四人おり、一人は相模国の住人 三浦介義明(よしあきら)の息子、義連(よしつら)の妻になった。いま一人は同じ国の住人、土肥次郎実平(どいのじろうさねひら)の息子、遠平(とおひら)の妻となっていた。三番目の娘は、まだ夫もいなかったので頼朝がひそかに通っていたところ、男の子が一人生まれた。頼朝は殊の外悦んで寵愛し、字を千鶴と申し上げた。三歳と申し上げた年の春、幼い者達をたくさん引き連れて、乳母に懐(いだ)かれて庭の植え込みの花を摘んで遊んでいたのを、祐親法師が大番役(諸国の武士が交代で勤めた皇居警備)の任を終えて国に帰ってきた折に見付けて、

「この幼い者は誰であるか」

と尋ねたけれども、乳母は答えずに逃げ去ってしまった。入道は家の中に入って妻に尋ねたところ、

「あれは、あなた様が上洛なさっている間に、大切に育てた娘が高貴な殿方との間にもうけた子どもです」

と答えると、入道は怒って、

「相手は誰だ」と詰問した。妻は、

「頼朝殿」

と答えた。祐親が申すには、

「商人や修験僧などを夫に下ならば、むしろそれでも良かろう。しかし、源氏の流人を婿にとって、平家のお咎めがあった時には、どのように申し開きをすれば良かろうか」

と言って、雑色(雑事を務める従者)三人、郎等(従者)二人に仰せつけて、その幼子を呼び出して、

「伊豆のまつかわの奥、白滝の底に簀巻きにして沈めよ」

と言ったので、三歳ばかりの幼い心にも、それが嫌だと思ったためであろうか、泣き惑って逃げようとするのを、捕まえて郎党に引き渡したのは厭わしい限りだ。容姿や佇まいが美しく、やはり他に比類ない様子であったので、雑色、郎等達は、どのように殺したら良いのか見当も付かず、悲嘆に暮れたけれども、強いて拒めば「心中思うところがあるのか」といって、首を斬られることが間違いないのだと思って、泣く泣く抱きかかえて、かの場所へ連れて行って水の中に沈めたのは、本当に悲しいことだ。娘を呼び戻して、当国の住人、江間小次郎(えまのこじろう)を婿に取ったということだ。頼朝はこの一件をお聞きになって、怒る気持ちも激しく、嘆く気持ちも深くて、祐親法師を討とうと思う気持ちが、千度も百度もわき起こったけれども、

「今までずっと心に懸けていた大事を全うせずして、今、私情に走り、その仇を報いようとして身を滅ぼし、命を失うことは愚かなことだ。大きな志のある者は、小さな怨みにとらわれないことだ」と思い直してお過ごしになった。

                 (出典:現代語で読む歴史文学『完訳 源平盛衰記』四 勉誠出版)

 

2.八重姫のその後

 1で紹介した『完訳 源平盛衰記』によれば、千鶴丸が殺されたあと、八重姫はここに記したように「江間小次郎を婿に取った」となっていますが、伊豆の国市の「眞珠院」には、八重姫が頼朝との悲恋に身をさかれ、治承四年(1180)、狩野川の支流の「真珠ケ淵」に入水(自殺)したという話が伝わっています。

 それによれば、北条の館を侍女とともに訪れた八重姫は、すでに頼朝が政子と結ばれたことを聞かされ、重い足を引きずりながら真珠ケ淵までたどりつき、涙にくれて「今は世に生きる何の望みもなし。せめて我が身を犠牲にして、将来共末永く不幸な女人達の守護神となりましょう」と言い残して、身を投じたということです。

 侍女たちから事の顛末を聞いた里人たちは、のちに姫を万願寺に葬り、女人の守護神として里人たちの信仰を集めてきましたが、万願寺が明治初期に廃寺となったため、八重姫の供養塔が眞珠院に移され、現在では、眞珠院で毎年四月の第二日曜日、盛大な供養祭を営んでいるとのことです。

 

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