【史跡】大湯間歇泉跡
大湯間歇泉跡
よみ:おおゆかんけつせんあと
種別:史跡
指定日:昭和52年(1977)4月25日
員数:1件
所在地:上宿町440-3,7
所有者・管理団体:熱海市
解説
伊豆山の走湯と相対するものが熱海の大湯である。この大間歇泉を神格化し、湯前神社「従四位の上、熱海湯の明神」(伊豆国神明帳)を祀った。 間歇泉の活動期には、2時間おきに噴湯し、月に1度ないし2度、長湧(ながわき)という昼夜続けての大噴出をした(長湧の翌日は1日停止)。明治25年(1892)頃には1日6回にまで衰え、大正13年(1924)には全く止った。現在は人工により4分ごとに3分間噴湯させて、昔の面影をしのばせている。
慶長2年(1597)、慶長9年(1604)に徳川家康が湯治滞在した(『熱海市史』)。これ以来、公卿大名をはじめとして湯治が盛んになり、将軍献湯の汲湯がさかえ、又、文人・学者は大湯噴湯の奇観を文や絵を通して宣伝した。
幕末に来遊した駐日初代英国公使オールコックは、大湯の噴湯にふれて死んだ愛犬トピーに寄せられた当時の村民の優しい心情に感激し、彼の日本滞在記に好意ある紹介をしたため、日英間の友好を促す動機となったといわれる。
明治18年(1885)、大湯のかたわらに宮内庁直轄の温泉療養医学センターというべ噏滊館(きゅうきかん)設立、明治22年(1889)、日本最初の公衆電話が東京~熱海(噏滊館内)に開設された由緒の地である。
引用・参考文献:熱海市教育委員会編1990『熱海の文化財』
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