鎌倉時代
源頼朝と北条政子
鎌倉の尼将軍と名をはせた北条政子は伊豆韮山の小豪族の娘。伊豆韮山の「蛭ヶ小島」に島流しにあった源頼朝と恋に落ち、お互いに結ばれることを望みました。
しかし、政子の父である北条時政はこの結婚に猛反対。平家全盛の世、源氏の流人である頼朝の前途は絶望的であり、源氏との縁組は北条家にとって命取りになると考えたからです。時政は、政子を伊豆国の目代、山木判官平兼隆に嫁がせることを決めてしまいました。
婚礼の夜、政子は全てを捨てる覚悟で酒宴を抜け出し、日金七里を越えて、伊豆山へ逃れ、足川の地に隠れ住みました。そして、伊豆権現(走湯(そうとう)権現、現在の伊豆山神社)の坊にいた頼朝は部下の知らせをうけ、逢初橋(あいぞめばし)の上で政子と劇的な対面をしたと言われています。(一般的には国道135号線の朱色の橋が逢初橋となっていますが、本当の逢初橋は御岳社の森に架かるこの橋であると言われています。)
この伊豆権現の御祭神は天忍穂耳尊・拷幡千千姫尊・瓊瓊杵尊の三柱をまつった伊豆大神であり、鎌倉時代以前より、多くの僧兵を持して、伊豆・相模はじめ周辺に権威を誇っていました。鎌倉時代においては、前述のとおり伊豆権現は、源頼朝が一時身をひそめたところであり、恋人北条政子との逢瀬の場にするなど深い関わりを持ちました。
頼朝は伊豆権現 阿舎利覚淵(加藤景簾と兄弟)のもとで学び、源氏再興を祈願して法華経千巻の誓いを立てました。しかし、急を要する事が起き、八百巻で出陣をしてよいか伊豆権現にお伺いを立て、旗揚げを敢行し勝利しました。
その間、伊豆権現では頼朝勝利の祈祷を行い、政子を庇護していました。また、箱根権現(僧行実)も、源氏再興への支援を行いました。
その恩に報いるため、鎌倉幕府を開いた頼朝は、伊豆権現と箱根権現への二所詣を幕府の公式な行事とするなど、伊豆権現は幕府直轄の神社として崇敬の的となりました。以来、鎌倉歴代将軍の信仰厚く、この神社は関東の総鎮守として、戦勝祈願の社として隆盛を極めました。
また、縁結びの祈願所として現在も名高く、恋にまつわるパワースポットもいくつか存在します。
一つは、頼朝と政子が愛を育んだとされる、二人掛けサイズの"腰掛石"。
もう一つは、政子が二人の名前をその葉に刻んで、手鏡の下に忍ばせてそっとお祈りしていたという神木"椰の葉"です。
梛の木には人の悪意や嫉妬、災いをはねのける浄化作用があり、その葉が悩みや迷いを解消する護符として、古くから身につけられてきたようです。
梛の葉は、葉脈が硬く横に千切ることが難しいため、縁結びのご利益があるとして有名なお守りです。
また梛にはオスとメスとがあり、カップルで持つ場合は女性がお梛、男性がめ梛を持つとよいとされています。
伊豆山神社では、根元に白い石が敷いてあるのが「め梛」です。
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