お宮緑地
お宮の松
尾崎紅葉の「金色夜叉」で有名になった「お宮の松」
明治30年から35年まで、読売新聞に連載された尾崎紅葉の「金色夜叉」により熱海は一躍脚光を浴び、観光は急速に上昇発展し観光都市へと変貌していきました。「お宮の松」と呼ばれるようになったのは、昭和9年頃と言われています。
(土壌改良及び排水工事等完了し、現状の姿になったのは、平成13年3月です。)
貫一お宮の像
金色夜叉といえば思い出すのが「熱海海岸の場」。間貫一が、宮を足蹴にして立ち去るシーンです。
制作者の館野弘青氏も先ずこのシーンが浮かび、構図を発表したところ、各方面から「女性蔑視」という抗議の声がおこったと言われております。
しかし、ここにおいて原作を曲げるわけもいかず、宮の乱れた裾は止め、表情も和らげた作品にしたそうです。
また、像の貫一の履いている下駄は舞台等での演出でそうなったもので、原作の挿絵は靴を履いています。
「いいか宮さん。来年の今月今夜…再来年の今月今夜…、10年後の今月今夜…、一生を通して僕は今月今夜を忘れん、僕の涙で必ずこの月を曇らして見せる。」
名セリフを吐いた後、宮を足蹴にして立ち去るシーンはあまりにも有名です。
また、平成17年8月初旬より貫一お宮の像がライトアップ されましたので、ムーンライトビーチと合わせてご覧下さい。
貫一お宮の像の脇に、「金色夜叉と熱海」という解説板があり、小説のあらすじと「金色夜叉の歌」の歌詞の一節が刻まれています。
金色夜叉の碑
紅葉山人記念 金色夜叉の碑
宮に似た うしろ姿や 春の月
風葉
この句は、紅葉の門人小栗風葉作です。
彼は、「後の金色夜叉」という小説を執筆しました。
この句も名句として、「お宮の松」とともに広く熱海の名を知らしめました。
川端康成は、その著書の中で「石そのものも可憐な女の後姿に似ている。この海岸での貫一お宮の悲劇的な別れが最早架空の物語とは思えない」と書いています。
お宮緑地のジャカランダ
ジャカランダはペルー原産の木で、熱帯の庭園樹や、街路樹によく使われる木です。花期には ブルーや 白の花を咲かせますが、大木にならないと花をつけない木です。
お宮緑地のジャカランダは平成2年7月にポルトガルのカスカイス市と国際姉妹都市提携を記念して植樹された木です。
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