起雲閣の見どころ

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ページ番号1001903  更新日 令和5年3月31日

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和館「麒麟・大鳳」(きりん・たいほう)

写真:和館「麒麟・大鳳」

この座敷と玄関を含む建物は、1918(大正7)年に着工、翌1919(大正8)年に完成しました。

最初の持ち主であった「内田信也」が実母の静養の場所として建てた別荘で、伝統的な和風建築のたたずまいですが、随所に斬新で先駆的な技術も見られます。

座敷は、床の間や付書院まわり、欄間など、豪華な装飾や際立った特徴のない簡素なつくりです。しかし、高くとられた天井や座敷の三方を取り囲む畳廊下、庭園の風景は、今では見ることの少なくなってきた贅沢な空間となっております。

畳廊下の窓ガラスは、当時の職人が一枚一枚流し込んで作った「大正ガラス」が残っており、その微妙なゆがみが美しささえ感じさせています。

座敷の周囲を座敷と同じ高さに揃えた畳廊下で囲む造りは入側造(いりかわづくり)といい、車椅子で生活していた実母に対する内田信也の思いやりと考えられます。

ひときわ目を引く群青色の壁は、旅館となってから塗り替えられたものです。「加賀の青漆喰」と呼ばれる石川県加賀地方の伝統的な技法ですが、旅館を開業した「桜井兵五郎」が石川県の出身であったため、これを取り入れたといわれています。

二階座敷「大鳳」には、旅館当時「太宰 治」が宿泊したといわれております。

表門(薬医門)

写真:表門(薬医門)

起雲閣の表門は、1919(大正8)年に創建され、薬医門(やくいもん)とよばれる造りになっています。

薬医門は、鎌倉時代末期・室町時代初期の武家または公家の屋敷などに現れた門形式のひとつで、後に城郭や寺社などにも使われるようになりました。

二本の本柱と二本の控柱で、女梁(肘木)と男梁(腕木)を受け、内法高の位置で冠木を貫き、上に「切妻」と「入母屋」の屋根を架けています。

本来は、医師の家の門として使われたため、病人の往来を妨げないよう、門扉は設けないものとされましたが、実用面から二枚の扉を設け、両開きとしています。

現在は、屋根に瓦を載せていますが、古い写真では檜皮葺(ひわたぶき)で軒を押さえているものが見られます。屋根の仕様が変更された時期は不明です。

いずれにせよ、現代にあっては、容易に得ることのできない職人の手仕事の良さを示す大変貴重な門であります。

大正期から昭和期にかけての、門・土塀、母屋(座敷や玄関)、土蔵、別棟の洋館、そして庭園のすべてが揃い邸宅の屋敷構えとして現存する事例は決して多くなく、その意味でも、起雲閣は貴重な文化的・歴史的遺産であるといえるでしょう。

洋館「玉姫」(たまひめ)

写真:洋館「玉姫」

この建物は、二代目の持ち主「根津嘉一郎」により、1931(昭和6)年に着工、1932(昭和7)年に完成しました。

玉姫は、正面中央に暖炉があるヨーロッパのデザインを基本にしていますが、「折上格天上」(おりあげごうてんじょう)など日本の神社仏閣に見られる建築様式が用いられています。また「喜」の文字をデザインした中国風の彫刻や、シルクロード沿いで見られる唐草模様の彫刻で飾られています。

洋館「玉渓」(ぎょくけい)

写真:洋館「玉渓」

玉渓は中世英国の「チューダー様式」に「名栗仕上げ」を取り入れたヨーロッパの山荘風の造りになっています。しかし、暖炉の覆いにはサンスクリット語の飾り、入口の天井には茶室のように竹が用いられるなど、独特の空間となっています。暖炉脇の太い円柱は、古い寺か神社の柱とも、江戸時代の帆船の帆柱ともいわれており、この柱と暖炉は、日本建築の「床の間」と「床柱」にも見立てることができます。

廊下を含めた各部屋の窓のうち、上下に開閉する窓の両側の柱は内部が空洞になっています。この内部にワイヤーで窓に繋がれた鉛の錘が吊り下げられており、滑車によって上下に開閉する窓の動きをスムーズにしています。

サンルーム

写真:サンルーム

「玉姫の間」に併設されたサンルームは、大きな窓とステンドグラスの天上、色鮮やかなタイルの床が特徴で、「アールデコ」のデザインを基調にしています。

サンルームの名のとおり、たくさんの日光を取り入れるために、天井とともに屋根もガラスで葺かれており、これらは鉄骨によって支えられています。

天井と高窓の間には、唐草模様が刻まれた石膏の装飾が施されています。

洋館「金剛」(こんごう)

写真:洋館「金剛」

この建物は「根津嘉一郎」により、1928(昭和3)年に着工、翌1929(昭和4)年に完成しました。その後、何度か改築されていますが、1989年の改築により、ローマ風浴室の位置と向きが変えられています。

建築当時は独立した建物で、部屋への入り口あたり、石張りの廊下部分が玄関となっていました。

金剛では、暖炉上方のスペード、ハート、ダイヤ、クラブを象った模様をはじめ、草花の模様などが、洋館では大変珍しい螺鈿細工(らでんざいく)によって施されています。

このほかにも、柱などの随所に面取りや名栗仕上げといった加工が施されています。

建築当時は、すべての床が入り口右手の小部屋と同じタイル張りでした。蝶番やドアノブなど、細工が施された建具金物は建築当時の物です。

ローマ風浴室

写真:ローマ風浴室

洋館「金剛」に併設されたローマ風浴室は、1989年の改築の際、多くの部分で現代の材料に改められてしまいましたが、ステンドグラスの窓やテラコッタ製の湯出口などは、建築当時の物です。

肌触りの良さや滑り止めの効果を考慮して、浴槽の周囲には「木製のタイル」が敷かれているほか、建築当時は畳敷き、あわせて9畳の脱衣室と化粧室も敷設されていました。

ローマ風浴室では「舟橋聖一」が、離れの「孔雀の間」で執筆した「雪夫人絵図」の映画化(監督:溝口健二 出演:久我美子・浜田百合子・柳永次郎ほか)の際にシーンの撮影も行われました。

和館「孔雀」(くじゃく)

写真:和館「孔雀」

この建物は、1918(大正7)年に着工し、翌1919(大正8)年に完成した「内田信也」の別荘の一部です。
当時は、現在の喫茶室をはさんで和館「麒麟」の隣に建っていましたが、1953(昭和28)年、旅館として客室と宴会場を増築するにあたって、現在の音楽サロンのあたりに移されました。その後、1981(昭和56)年に現在の場所に移されました。
「床の間」や「付け書院」のある座敷は、今では見ることが少なくなってしまいましたが、当時としては基本的で一般的な座敷となっています。
「麒麟」と同じように、座敷の周りを畳廊下が取り囲む入側造(いりかわづくり)で、比較的地味なつくりですが、部分的に竹や漆塗りの木材を使用するなど、落ち着いた雰囲気のなかにも上品な演出が施されています。
「麒麟」と同様、窓ガラスや障子など建具のほとんどは、建築当時の物です。

存在感のある「根津の大石」

写真:根津の大石

お庭の中央の「根津の大石」は、10人以上の庭師が2カ月以上かけて運んだと云われています。

3分の2は土の中で、その重さは20トン(!)の巨石です。

庭園をのぞむ

写真:起雲閣庭園

起雲閣の庭園は、池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)とよばれており、眺望を楽しむことと、散策を楽しむという両面性をもった大変素晴らしい庭園となっています。
眺望については、敷地内の各建物、各部屋それぞれの場所から眺めたとき、どこから眺めても快適な庭となるように設計されています。
散策については、眺めるだけでなく実際に庭に入ることができ、心楽しませるつくりとなっています。
一千坪の庭園は四季折々に色彩を変えます。
季節を感じながら優雅にそぞろ歩きしてみてはいかがでしょうか。

起雲閣の歴史・変遷

起雲閣は、大正から昭和にかけて3人の富豪とともに歴史を歩んできました。

個人所有の別荘から、現在の起雲閣に至る経緯をご紹介いたします。

内田信也時代 1918(大正7)年~1925(大正14)年

写真:内田信也

1918(大正7)年 内田信也が土地の造成、建物の建設に着手
1919(大正8)年 内田別邸として竣工
「麒麟・大鳳の棟、孔雀の棟」
1920(大正9)年 隣接する土地を入手し敷地を拡大
内田信也:大正・昭和期の政治家、実業家。茨城県出身。三井物産を経て内田汽船を設立、第一次世界大戦の戦争景気で財をなし、海運王と呼ばれた。
1924(大正13)年に衆議院議員に。
昭和9年には鉄道大臣に就任。
主に実母の静養の場所として、別荘を利用する。

根津嘉一郎時代 1925(大正14)年~1944(昭和19)年

写真:根津嘉一郎

1925(大正14)年 根津嘉一郎が内田信也より土地・建物を取得。根津別邸となる
1929(昭和4)年 金剛・ローマ風浴室の棟 竣工
1932(昭和7)年 玉姫・玉渓の棟 竣工
1944(昭和19)年 根津家が「根津別邸」を手放す
根津嘉一郎:明治・昭和期の政治家、実業家。山梨県出身。1904(明治37)年に衆議院議員
1905(明治38)年に東武鉄道社長。1929(昭和4)年には日光線を開通させ、鉄道王と呼ばれた。

桜井兵五郎時代 1947(昭和22)年~1999(平成11)年

写真:桜井兵五郎

1947(昭和22)年 桜井兵五郎が取得し、旅館(起雲閣)として開業
1949(昭和24)年 金剛の棟を改築
1981(昭和56)年 現在の音楽サロンの棟を新築(当時は宴会場であった)
1990(平成2)年 展示室(初霜・春風・有明)の棟、企画展示室・貸出施設(ギャラリー)棟、貸出施設(鶯・千鳥・雲雀)の棟を新築
1999(平成11)年 旅館廃業 競売物件となる
桜井兵五郎:大正・昭和の政治家、実業家。石川県出身。衆議院議員。日本タイプライター協会の会長を務める。
金沢の湯涌温泉でホテルを経営していたが、終戦後アメリカの進駐軍に接収されて事業ができないために、熱海で旅館を開業する。
「起雲閣」の名称は旅館時代に名付けられる。

その後の起雲閣

写真:「玉姫の間」

2000(平成12)年 熱海市が取得 一般公開開始
2002(平成14)年 熱海市指定有形文化財に登録
2007(平成19)年 入館者数 50万人達成
2012(平成24)年 入館者数100万人達成

2014(平成26)年 入館者数120万人達成

2015(平成27)年 入館者数130万人達成

2016(平成28)年 入館者数140万人達成

現在に至る

 

起雲閣 蔵-くら-のご案内

写真:蔵

大正8年 内田別邸創建以前に存在していた蔵。修復を経て現在にいたっております。

お気軽にお立ち寄りください

写真:展示スペース

起雲閣や熱海市内の見どころ、イベント情報誌おいしい食事処、お土産物など盛りだくさんのちらしやパンフレットを展示しております。
また、市民文化祭や市主催の貸出施設利用のイベントは他の団体との兼ね合いもありますのでいままで起雲閣のホームページでは取り扱っておりません。
起雲閣の自主事業や主催イベントのみの掲載をしております。
掲載希望の場合は主催課にお願いをいたしますので宜しくお願いいたします。

お土産品コーナー

写真:お土産品コーナー
お土産品一覧

 

起雲閣 お土産品人気ランキング

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昔から熱海は、橙の一大産地です。甘さ控えめな香りが良い
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起雲閣のすべてがわかる冊子です。旅の思い出にいかがでしょうか。

その他  熱海百景ポストカード など、熱海らしいお土産を取り揃えています。

お越しの際には、お立ち寄りください。
 

このページに関するお問い合わせ

教育委員会 生涯学習課 文化交流室(起雲閣)
〒413-0022 熱海市昭和町4-2
電話:0557-86-3101 ファクス:0557-86-3102
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。